『スタンド・バイ・ミー』この映画が好きすぎて実際に旅に出た男の話しを聞いてくれ(後編)
こんばんわ。
今日は4月28日火曜日ですね。
何やらまだまだ、良いことが降り注いでくるような予感がゾワゾワとしますね。
このブログを読んでくださっている方にも、まだまだ良いことやステキなことが降り注いでいきますように(^^)
それでは、早速ですが本題に入りましょう。
20年前に時を戻させてください。
戻しましょう、戻しましょうや。
13才だったあの頃に・・・。
※20年前ということもあり、最後の1枚の写真以外、ネットからお借りした写真だという点ご容赦ください。
昨日の続きですね。
先ず、この続きを書かせて頂くに当たりこの物語における3人の登場人物を明確にしておかなければなりません
僕:言い出しっぺ。ノリと勢いで何とかなるだろうと思ってるザッ楽天家
じん:言い出しっぺの1人。物事を冷静に判断・分析しこのメンバー勇逸の頭脳派
しろー:ザッマイペース。グループに必ず1人はいるであろう個性派
この3人で東京都江戸川区葛西からおおよそ100キロ先の千葉県九十九里の海に自転車で向かうことに
季節は夏の7月ごろでした。
暑い日差しが降り注ぎ、ジッとしているだけで汗が滲んでくるような日でした。
僕たち3人は午前9時ごろに待ち合わせをし、京葉線の線路沿いを伝い自転車で九十九里の海を目指しいざ出発です。
夏ということもあり、3人ともTシャツにジーパンのような軽装で向かう事となるのですが準備している(事前に持ってきているモノ)は各々性格が出ていました。
僕はと言えば、旅に出るからと事前に父親にお願いをし当時の僕としては大金の5.000円ぐらい?の軍資金とタオルのみ。
頭脳派のじんは、軍資金+千葉県全域を把握できるような地図+自転車がパンクした際の簡易的に修理できるパンク修理備品+諸々。さっすがじん!!
まさかパンクを想定し修理器具を持ってきているとは思いませんでした。
一方で、ザッ個性派のしろーといえば…
新聞紙1枚のみ。
・・・。
新聞紙1枚??
ウソでしょ?新聞紙一枚って何に使うつもりなの?マジか、、、。(実話です。)
待ち合わせた時から僕とじんは大爆笑でした。
てか、新聞紙1枚て、、、笑 一体何に使おうと思って、新聞紙1枚を用意してきたのでしょうか。
20年経った今でも謎のままですね
そんなこんなで、
名作『スタンドバイミー』に憧れ、オレたちも旅をしたい、線路沿いに海に向かって進めば楽しいこと、知らない未知の経験ができるはずだ。とにかく、線路沿いにひたすら進もう。
東京の千葉の県境にある舞浜大橋を渡り右手に見える線路沿いに自転車を走らせることに
とにかくひたすら線路沿いに向かって千葉方面に向かって走らせるのみ。
初めはこのようは景色が延々と続いていきます、恐らくは4時間以上走らせたころでしょうか、、、景色は一気に田舎道に
このような歩道もないような国道も走り、僕たちの横をぶつからないように、かつ今思えばとても迷惑そうに必要以上に大回りし避けながらビュンビュン僕たちの自転車の横を車やトラックが通り過ぎていきます…
(迷惑でしたよね、あの時のどこかのドライバーさん申し訳ございませんでした。)
それでも、僕たちの笑顔、ワクワクは止まりません。なぜなら、僕たちの頭の中はあの何度も観た映画『スタンドバイミー』の少年達と一緒だったからです
更にずんずん進むと、、、
このような坂道を延々と登ることに。。いくら若いとは言え、ここまでの道のりで3〜4時間以上はノンストップで走らせています。さすがにこれはキツ過ぎました…
横を見れば、じんもしろーも同じように必死に汗だくになりながら自転車をこいでいます
ここで、事件が起きました。ここまで共に数時間戦ってきた相棒のマシーン(使い古されたただのママチャリ)が限界を迎えたのです。
そうですね。シンプルに、タイヤがパンクしたのです…
しかも僕としろーの2人共のマシーン(ママチャリ)がです…
頭脳派じんが持ってきてくれていた簡易的に自転車のパンク修理ができる修理器具もなぜかうまく使えず、僕としろーの2人は自転車の後輪をパンクさせたまま目的の九十九里の海へ向かうことに。目的地までは恐らく50キロ以上あったと思います
絶望の一言が浮かびつつも、それを払拭させ遥かに上回る希望が僕たちにはありました。
そうです、僕たち、いやオレ達は今まさに『スタンドバイミー』あの世界にいるんだ。こんな所で諦めてたまるか。絶対に行ってやる。必ず九十九里の海へ行くんだ
絶望を遥かに上回る希望を抱き、パンクしたままの自転車を必死にこぎ汗だくになりながら九十九里の海へ向かいひたすら走らせます
時には進む方向を間違え、こんな感じの所に迷い入ってしまった時もありました
どこですかねここ?明らかに線路沿いではないですよね。。トトロ的な?ネコバス的な?辺りは次第に暗くなりパンクした自転車の走り辛さと言ったら…
目的地が見えていれば、正確にはあと何分何時間ぐらいで走れば着くのか?が分かればまだがんばれます。しかし、あとどれくらい走れば着くのかがもはや分からないのです…自分達が計画したにも関わらず、今思えば、少しだけ後ろ向きな考えをした時もあったかも知れません、、
途中何度もコンビニに立ち寄り、店員さんに進んでいる方向は合っているか確認もしました。その時に皆で食べたカップラーメンやおにぎりのあの美味しさ!!
(※↑のもやし味噌のカップラーメンは実際に当時食べたカップラーメンです。今でも変わらず大好きなカップラーメンだという点も補足させてください)
ひたすら走りおおよそ12時間経った午後21時ごろ。やっとの想いで目的の千葉県九十九里浜の白里海岸に到着しました。
時刻は既に21時を回っており実際は真っ暗な海でしたが、12時間以上走り、パンクした自転車を走らせ、目的の九十九里浜の海に着いた時のあの喜び、あの達成感は言葉にできないほどでした
ひとしきり、誰もいない真っ暗な砂浜で遊び回り、僕たち3人は海の家の前に寝転がりひたすら語り明かすことに。
僕が真ん中で左右隣にはじんとしろーがいる状態ですね。当時流行っていたテレビの話題や、違うクラスの女の子の話。他愛もない話しばかりだったと思いますが、嬉しさのあまり頭は常にフル回転。
話しは尽きませんでした。
寝れるはずもありません、めちゃくちゃ楽しい夜。
本当に最高の夜でした。
この寝ずに朝まで語り明かす事を翌日に3人とも後悔する事となります・・・。
なぜならその翌日は、地元の江戸川区葛西までのおおよそ100キロの道のりを、パンクした自転車で帰らなければいけないのですから。。
本当に死ぬほど疲れました😅
けど、それもそれでめちゃくちゃ楽しかったです。
きっと、これを読んでくださっている方達にも同様に大切な友人がいて同じように旅に出たり朝まで語り明かしたりされてるのだろうなと想像しています(^^)
最後に、この写真は翌年あたりですかね?当時14才か15才になった僕たちはまた懲りずに人数を増やし同じ九十九里の海へ出掛けることに
1番右が僕、真ん中がしろー、左がじんです
ジーパンのまま海へ入り皆んなで大はしゃぎしました。
若いですね、正に青春そのものですよね笑
最高の思い出です
周囲に対し無意味に反抗してしまうあの気持ち、 誰よりも心配してくれている両親に対しなぜか反抗・反発してしまうあの衝動。誰よりも臆病なのに誰よりも目立ちたい、誰よりもかっこつけたいあの頃の誰か。
それがまさに僕でした。
あれから約20年。
今では年に1回か2回会えばいい方になっていますが、会う頻度に関わらず僕は今でもあいつらこそ本当の友達だと思っています
あれから10数年後、当時20代後半になったころ、しろーが結婚する事となり友人代表のスピーチを僕に頼んでくれました。めちゃくちゃ美人な奥さんをもらい、嬉しそうにしているしろーを横目に、僕は友人代表として彼に恥をかかせる訳にはいきません。
一方で、僕にしか知らないエピソードも交え真面目過ぎず砕け過ぎず話をしないといけませんね。言っても僕も営業マンです。
新聞紙1枚のみ持参したあの時のエピソードを話さずにはいられませんよね笑
"最高の友人に出会え、2度と返ってこない13才のあの頃の思い出を大切に"
最後に、このブログ含め今でも引き続き読んでくださっている方、読者登録をしてくださっている方、初めて読んで頂いている方にも最大の感謝を込めて
最後までお読みいただき、ありがとうございました。